今回の舞台は上諏訪。宿場町の痕跡から現在のまちづくりを探る。
諏訪藩の城下町であり、甲州街道の宿場町であり、また鄙びた農村でもあった上諏訪のまち。そんな複合都市の魅力あふれる上諏訪のまちなかで、今回はまちに残された宿場町の痕跡を訪ね、現在のまちづくりにどのような関係性が見られるか、その姿を探ってみました。
澄んだ空が清々しい日。冬の始まりに上諏訪をまちあるきしてきました。
上諏訪駅が今回のスタート地点です。いつものように150年前の地図を片手にさあ、まちあるきに出発です。
甲州街道の道のりをお知らせする一里塚。昔のひとは旅をする中で一里塚を道しるべに目的地へと足を運びました。まちあるき一行は「一里塚跡」で昔の情景に思いを馳せ、200キロに及ぶ生活を支えていた動脈の断片に触れました。
諏訪にゆかりのある建築家・藤森照信が命名した「看板建築」。店舗兼用住宅の通りに面した表側だけを西洋風にデザインしているもの。上諏訪では当時のお洒落で凝ったつくりの看板建築をたくさん見ることができます。
かつては付近の川から直接船を乗り付けていた小幅の水路が、現在は趣ある路地に。建ち並ぶ農家の裏手が船着き場になっており、農機具や肥料・収穫物を積み込んだり取り入れたりしていました。
諏訪湖の御神渡り拝観という特殊な神事を1600年代から現在まで守り伝えてきた神社。
宿場の北寄り、現在の諏訪1丁目交差点付近は街道が鍵の手となり、見通しを遮る構造になっていました。またこの場所は宿場からお城へ向かう入口でもあり、高島藩の民間向け窓口ともいうべき柳口役所が置かれていました。
上諏訪再訪の折にはこの御役所跡からもうひとつの顔、高島城の城下町としての素顔に迫りたいと思います。「城下町 上諏訪編」もぜひご覧ください。
城下町や宿場町という言葉。これらはまちの成り立ちの背景がどうであったかということから、その形態ごとに分類する際に使われる言葉です。
ひとくちに「まち(町)」といっても、その形態にはいろいろあるということですが、まちあるきをする際にそのことを理解しておくと形態ごとの特徴が垣間見え、なかなか面白いものがあります。
城下町は文字通りお城を中心に成立したまちのこと。一般的には武家地と商人地、寺社地などが比較的はっきりと区分けされて成立しているのが分かります。信州では松本城下町が典型ですね。道のつくりに特徴が見られ、敵の侵入に対抗する為に街路の見通しをわざと悪くする“鍵の手”や“食違い”といった個所をいくつも設けています。お堀や土塁の存在も城下町の大きな特徴です。
一方、街道沿いに荷役や人の伝達輸送を取り扱う“駅”“伝馬”が整備された場所を宿場といい、その宿場を中心に成立したまちを宿場町といいます。宿場町は宿場が成立した背景事情により町割りや道路の整備状況に微妙な違いがみられて興味深く、中世までに成立した宿場町の場合、城下町と同じく鍵の手など防御対策の講じられている様子がよく見受けられます。
また門前町というものがありますが、これは寺や神社の門前に寺社関係の人や商工業者が集まり、まちとして成立したところ。信州の場合はいわずもがな、善光寺の門前界隈がその代表格。私たちサンプロまちあるき部もツアーを実施しました。「長野 善光寺門前編」 参照
その他には城下町の一区分でもある陣屋町や、広義では門前町にも属する寺内町、海岸や河岸では港町など、それぞれに特徴的なまちの構成が見て取れます。
上記で紹介する上諏訪の場合は高島城の城下町であるのと同時に、ツアーで歩いたところは宿場町として成立しているなど、ひとつのまちなのにハイブリッドシティともいうべき様子が見られて興味深いです。まちの形態ひとつとっても奥行き深く、昔の町割りを感じ取りながら歩くと昔人の気配を感じられる気がして、面白さもまた深まって行きます。