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【北斎連載企画 vol.1 】「生きることは、絵を描くこと」 ー岩松院を訪ねて

2023.06.23

こんにちは。サンプロ新入社員のオブチです。

日本人なら誰もが知る芸術家、葛飾北斎。

北斎の絵は日本だけにとどまらず、ゴッホやモネ、ゴーギャンといった世界的な画家たちに影響を与え、ヨーロッパで『ジャポニズム』という現象を起こしました。

北斎は平均寿命が48~55歳ほどであった江戸時代に 90年 という長い生涯を全うし、生涯で 3万点以上 の作品を制作しました。

そんな北斎が晩年過ごした土地である、信濃国小布施村(現在の長野県小布施町)。

住まいがあった江戸からは遠く離れた地でしたが、80代の高齢であったにも関わらず北斎は4回も自分の足で小布施まで訪ねて滞在しました。

浮世絵界の巨匠北斎がここ小布施の街を晩年の地にした理由は、どのようなものだったのでしょうか。

オブチ
オブチ
私、サンプロの新入社員 オブチ が北斎にまつわる信州の人を取材します。

 

第一弾は北斎晩年の作品にして最大規模の作品「八方睨み鳳凰図」が飾られている岩松院に訪れ、住職の 渡辺さん にお話を伺い、知られざる北斎の精神世界を追いました。

 

岩松院

文明4年(1472)に開山された曹洞宗の寺。
長野県小布施町の雁田山の麓にあり、境内には福島正則の霊廟がある。また、小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだ池や、本堂の天井には葛飾北斎による大天井絵があるなど文化的価値も高い。

岩松院住職渡辺正己さん

 

北斎と小布施の関係
オブチ
オブチ
北斎は晩年を小布施で過ごしていますよね。なぜ住んでいた江戸から遠い小布施まで足を運んだのでしょうか。
北斎が81歳の時に 天保の改革 が実施され、贅沢物禁止令が出ました。贅沢ものの中には本や美術品などの芸術作品も含まれ、それらを徹底的に取り締まり、江戸の 芸術家たちも処罰の対象 となりました。北斎はゆっくりと絵を描くことができない状況になっていたのです。
そこで北斎を慕っていた小布施の豪商・ 髙井鴻山 が、取り締まりの緩やかだった地元小布施に北斎のアトリエを用意し、衣食住を提供することで北斎の芸術活動を支援したのです。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

小布施は北斎にとって絵を描くことに専念できる、 最高の環境 だったのですね。
オブチ
オブチ

 

江戸に住んでいた北斎でしたが掃除を全くしませんでした。そのため部屋が汚れるたびに引っ越し、人生で引っ越しを 93回も したという逸話も残されています。
また、稼いだお金の大半を画材の購入に使っていたため、ほとんど貯蓄もなく貧しい生活だったようです。。。

かなりの変わり者といった印象を受けます。

それでも、何よりも絵を描くことが好きだった北斎にとってこれより幸せなことなどなかったのではないでしょうか。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

オブチ
オブチ
髙井鴻山と北斎は46歳も年が離れていました。 二人の出会いとは
髙井鴻山は地元の 豪商 でした。商人たちとの交流の中で、鴻山と北斎は江戸で出会います。
文化人として教養が高い 鴻山だったので、北斎の作品の素晴らしさを見抜き交流を重ねていきました。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

小布施はかつて 物流の要所 でしたので、
髙井家では酒・米・醤油などを売ったり貸金業を営んだりしていました。

京都の九条家の御用商人を務め、そこで芸術との関わりを持つこともあったそうです。

若くして家業を継いだ髙井鴻山は、江戸で北斎と出会った後、直接会ったり手紙のやり取りをするなどして交流を深めていきました。

詳細な文献は残っていませんが、一回目に北斎が小布施を訪れた時はアポなしで訪れたため鴻山とは会えなかったそうです。

そんな話からも、北斎も鴻山に興味を持っていたと考えられます。

北斎にとって鴻山は「自分の芸術を理解してくれる人」
鴻山にとって北斎は「才能を持った尊敬する人」
といった存在だったと思います。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

 

北斎晩年の大作 天井絵

 

オブチ
オブチ
天井絵の迫力に圧倒されました。かなり大きくインパクトが強いですね。
葛飾北斎89歳の時の大作 「八方睨み鳳凰図」 です。
「八方睨み」とは、鳳凰の目が見る人がどこから見てもこちらを睨んで追ってくるような画法で描かれていることがらきています。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

岩松院本堂21畳の天井に、一面に翼を広げた鳳凰の姿は正に圧巻

当初、髙井鴻山の作品と言われていましたが、北斎の研究が進むにつれこちらの作品も北斎の作品であることが分かりました。

とても高価な絵の具を使っているため制作されてから一度も色の塗り直しをしていないそうです。
渡辺さん曰く、信州の季節感や自然が絵の保存に適しているのも良かったのではないかとのこと。

 

絵の具の量も相当多そう。。どれくらいの費用がかかったのだろう。
オブチ
オブチ
絵の具は鎖国していた当時、かなりの高級品でした。
北斎は色へのこだわりも強く「北斎ブルー」といった特殊な色もあるくらいですので、絵の具にはこだわったと考えられます。

鳳凰図の制作のために 絵の具150両、金箔4,400枚 を用意させたという記録が残っています。

岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

↑岩松院では使われた絵の具や金箔等の展示を見ることができる。

 

北斎の下絵の時点では、鳳凰の背景は黒でした。
(この下絵は複製が岩松院に展示されていて見ることができます。7/1から長野県立美術館で開催される「葛飾北斎と3つの信州」では下絵の実物が展示される予定です。)

しかし、製作途中で明るい背景に変更になりました。実は金箔を背景全面に貼る予定だったのですが、金箔を粉にした金砂子が撒かれています。

それにしても、なんとゴージャスな作品…!当時のままの色が残っているなんて、ロマンを感じる~!
オブチ
オブチ

 

オブチ
オブチ
北斎が天井絵を岩松院に描くことになった きっかけ を教えてください。
岩松院は1472年に開山された曹洞宗の寺ですが、今までに2度焼失しています。
その2度目の焼失の後、寺を再建する際に世話人であった鴻山が北斎にこの計画を提案しました。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 


↑岩松院の再建に関わった人物が板に記されている。
「世話人」と書かれた文字の下の列の一番左に「髙井三九郎(鴻山の通称)」と書かれている。

 

オブチ
オブチ
高齢の北斎がこんなに巨大な作品を書き上げたのはすごいですね。
鳳凰の顔 は北斎がひとりで描き上げました。周辺は何人かの人物が手伝った形跡が見られます。弟子が手伝ったと考えられますが、その正確な人数や人物は分かっていません。 チーム北斎 として、北斎が指揮しこの大きな作品を完成させました。

岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

この天井絵は当初、鴻山の作品であるといわれていました。しかし北斎の研究が進むにつれ、北斎の作品であることが分かりました。

それは、北斎以外の人も描いたため、絵をよく見ると北斎と比べ技術的に拙い箇所もあり、北斎の作品だと分からなかった時期があったためです。

 

オブチ
オブチ
ズバリ鳳凰図に込められた思いとは?
通常天井絵では竜が描かれることが多いです。竜は十二支にもいますし、中国の皇帝の象徴ですので縁起のいいものといった存在だからです。
一方、鳳凰が天井図として描かれることは珍しいです。鳳凰というのは “不死の象徴です。
文献は残っていませんが、北斎の沢山生きて、もっと長い時間絵を描いていたいという願いを鳳凰図に託したのかもしれません。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

 

北斎の人生
オブチ
オブチ
北斎の人生から得られる現代での学びはどのようなものがありますか?若者たちに一言お願いします!
北斎は絵を描くことに人生をかけました。仏教用語で「精進」といいますが、一つのことに集中し励んでいた人生であったと思います。「雨だれ石を穿つ」という言葉と同義ですが、どんなことでも継続していれば力を発揮できるのです。引きこもりなど問題になることも多い現代ですが、北斎のように勇気を持って一歩外の世界踏み出し、そこで行動を続けることで新たな出会いや縁などに恵まれます。精進することが現代で大切だと思います。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん
オブチ
オブチ
北斎や東山魁夷、草間彌生など信州にゆかりのある芸術家は多いですが、信州にはどのような魅力があると思いますか?
信州は豊かな自然があり、昔のままの雰囲気が残っています。100年前の空気が残っているということです。人間というのは、今の様なビルに囲まれた生活よりも自然の中で狩猟採集をしていた時の方が長いのです。長野の自然はそんな人間の DNAを刺激 しているのだと思いますよ。
岩松院 渡辺さん
岩松院 渡辺さん

 

 

編集後記

小布施の静かな空気の中で自然がうごめく初夏の時期は、まるで北斎の絵のように生命の瑞々しさや躍動感を感じます。

北斎の晩年は、静かながら自然の生命力あふれるこの小布施の地で自分を理解してくれる人に囲まれ絵に精進した幸せなものでありました。

「生きることは、絵を描くこと」

この情報過多の時代では即効性や即戦力が求められますが、北斎のように一つのことに腰を据えて、ひたすらに努力し続けることでさらに高度な精神世界へと行くことができるようになるのだと思います。

自分の大切なことだけでも北斎のように貫き通せるように、「精進」しながら生きていきたいものです。

北斎企画第1回目は岩松院にて取材いたしました。
次回は日本浮世絵博物館の館長さんにお話を聞き、浮世絵の世界について理解を深めていこと思います。(第2弾北斎記事はこちら!

 

取材協力 :岩松院住職  渡辺 正己さま

執筆・編集:株式会社サンプロ 小淵

 

 

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