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【北斎連載企画 vol.3】「葛飾北斎と3つの信濃」 ー長野県立美術館を訪ねて

2023.07.28

こんにちは。サンプロ新入社員のオブチです。

7/1より長野県立美術館にて「葛飾北斎と3つの信濃」の展示が始まりました。

この展示では、北斎の代表作「冨嶽三十六景」全46図をはじめとする錦絵の揃物や、美人画・花鳥画など数多の肉筆作品を展示しており、北斎芸術について俯瞰できる内容になっています。
さらに、北斎と小布施・諏訪・松本の関わりを紐解くような展示の構成になっております。

 

サンプロの北斎連載企画では、第一弾では境内に北斎の天井絵「鳳凰図」がある岩松院のご住職に、第二弾では10万点以上の浮世絵作品を所有する松本市の日本浮世絵博物館の館長様に取材いたしました。

※これまでのブログはこちら!
【北斎連載企画 vol.1 】「生きることは、絵を描くこと」 ー岩松院を訪ねて
【北斎連載企画 vol.2】「浮世絵の魅力を知る」 ー日本浮世絵博物館を訪ねて

今までの取材で北斎の人柄や人生について、また浮世絵について、知識を深めてきました。
最終回である第三弾は、企画展「葛飾北斎と3つの信濃」の見所を長野県立美術館の学芸員である上沢修さんにお話を伺い、北斎の芸術について理解を深めたいと思います。

「葛飾北斎と3つの信濃」の予習として、また理解を深める記事として読んでいただけたら幸いです。

オブチ
オブチ
最終回も私、サンプロの新入社員 オブチ が取材しました。

 

長野県立美術館 学芸員 上沢修さん

 

 

長野県立美術館(旧長野県信濃美術館)
長野市国宝・善光寺に隣接する城山公園内に1966年に開館。2021年に善光寺前のまち並みや、信州の自然と調和した景観を創り出す「ランドスケープ・ミュージアム」をコンセプトに長野県立美術館としてリニューアルした。館内は、自由に入れる無料ゾーンも充実し、誰もが気軽に訪れることができる公園のように”開かれた美術館”として、来場者を迎える。

 

 

特別展「葛飾北斎と3つの信濃」

↑「 葛飾北斎と3つの信濃」ポスター

 

オブチ
オブチ
「葛飾北斎と3つの信濃」開催の経緯を教えてください!
信濃毎日新聞さん150周年記念の特別展として開催いたしました。
展示内容は、北斎館館長 安村敏信さんを中心に構成を考え、展示のストーリーを作っていきました。
その際、『単なる北斎展にしたくない』ということで、北斎と小布施・諏訪・松本の関わりを紐解けるような 展示をしております。
上沢さん
上沢さん

 

オブチ
オブチ
この特別展の見所は…?
北斎が晩年を過ごした小布施での代表作、祭屋台と岩松院天井絵「鳳凰図」(原寸大複原図)を同時に見ることができます。特に、祭屋台の天井絵「女浪」は実物を展示しています。
さらに、冨嶽三十六景全作品や肉筆画、北斎が諏訪で描いた肖像画など、貴重な作品を展示しております。
今回の展示が初公開の作品もいくつかありますよ!
上沢さん
上沢さん

 

この特別展では3章構成で展示が行われています。
第1章は「北斎と小布施」、第2章は「北斎と諏訪」、第3章は「北斎と松本」。

上沢さんと、展示を見て回りながら、お話をお聞きしました。

それでは、第1章から鑑賞していきましょう!

 

 

第1章 北斎と小布施

 

展示室に入ってすぐのフロア。手前が「上町祭屋台」。奥の壁にある巨大な絵は、岩松院天井絵  「鳳凰図」

 

オブチ
オブチ
展示室の中心に 上町祭屋台 、最奥の壁一面に貼られた 岩松院天井絵「鳳凰図」(原寸大複原図) 、インパクトですね!
同時にこの二つの作品を見られることは レア です。この特別展によって、同じ空間にこの二つを展示することが実現しました。
祭屋台越しに鳳凰図が見える…めったにないことです!
上沢さん
上沢さん

 

入ってすぐの一階の展示室には、広々とした空間の中に、中央に上町祭屋台が鎮座し、その奥に岩松院天井絵「鳳凰図」(原寸大複原図)が展示してあります。
北斎は晩年に何度か小布施を訪れて滞在していますが、祭屋台・鳳凰図もその時に小布施で作られた北斎晩年の作品なのです。

鳳凰図の詳細に関しては、第一回の記事で記載しました。鳳凰図は 21畳 の広さを誇る巨大な作品です。

祭屋台の天井の装飾で北斎の「男浪」「女浪」「鳳凰」図の絵があります。
通常、祭屋台は北斎館で展示されていますが、今回の特別展で飾られており、より近づいて鑑賞することができます。

オブチ
オブチ
晩年の作品なのですね。上町祭屋台はどのようなきっかけで作られたのでしょうか。
この祭屋台は、北斎の小布施での生活を支援した豪商・ 髙井鴻山が住んでいた地区 (上町)のものです。
小布施村の祇園祭で使うために、鴻山は住んでいた上町の祭屋台を北斎に制作を依頼し、多大な私財を投じました。北斎が 86歳 の時の作品です。
上沢さん
上沢さん

 

ここで髙井鴻山についておさらいしておきましょう。
鴻山は 小布施の豪商 でありながら、絵や文学を趣味としていた 文化人 でした。鴻山が江戸に遊学した際に北斎と知り合い、交流を深めていきました。鴻山は北斎の46歳年下でしたが北斎の芸術を評価し、その才能を尊敬していました。
北斎が小布施に来た際には、北斎が不自由なく絵に没頭できるように、画材を購入したり生活のお世話をしたりと芸術活動を手厚く支援していました。
【詳細は【北斎連載企画 vol.1 】「生きることは、絵を描くこと」 ー岩松院を訪ねてをご覧ください。】

 

オブチ
オブチ
この上町祭屋台の 見所 を教えてください!
祭屋台の装飾として天井に書かれた絵、男浪おなみ女浪めなみは北斎が描いた波のなかで 集大成 とも言える作品です。
波は普通、視点より下にあるものですよね。波の絵を天井に描いているということからも、北斎が祭屋台の天井にこの波を描いたことへの思い入れが伝わってきます。
また、この屋台の中の飾り舞台には 北斎がデザインした彫刻 が置かれています。これは、北斎が下絵を描き、それを基に高山村の宮大工が木に彫り作られました。
上沢さん
上沢さん

葛飾北斎《上町祭屋台天井絵「女浪」図》(長野県宝)小布施町上町自治会蔵

 

北斎の有名作品というと冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏でしょうか。実は北斎はこの作品以外にも波の作品をたくさん描いています。生涯、絵のモチーフとして描いていたものです。詳しくはこの後、展示を見ていきながらご紹介していきます。その波の作品の集大成として晩年に描かれたのが、この「男浪」「女浪」なのです。特別展では本物の「女浪」を屋台近くの展示ケース内で展示しています。

 

 

木彫が置かれているとのことですが、北斎が彫刻作品をデザインということは大変珍しいことです。この木彫は、中国の古典「水滸伝」に登場する軍師「皇(公)孫勝」と天空を舞う龍をモチーフにしています。北斎の絵の迫力を木に彫れる宮大工が信州にいたからこそ、完成した作品です。

オブチ
オブチ
岩松院天井絵「鳳凰図」の展示も近くで見ることができます。岩松院では天井に飾られていましたが、壁に飾られているので、新鮮な新しい印象が得られました。
写真撮影も可能 なので、大きな鳳凰の前で一枚パシャリ、記念にいかがですか?

 

 

二階に上がると、まず目に入ってきたのは、よ~く見ると面白い要素の詰まったひらがな落款洋風画」。

葛飾北斎《ぎやうとくしほはまよりのぼとのひかたをのぞむ》名古屋市博物館蔵(前期展示)

こちらのひらがな落款洋風画は北斎が西洋画に影響を受けていたことが伺い知れる作品となっております。
額のような石垣風の縁が描かれていたり、西洋画にアルファベットのサインが入っているのを意識したのかひらがなの作品名を横書きにしローマ字風の雰囲気を出しながら、作品の端に書くなどしています。
上沢さん
上沢さん
オブチ
オブチ
北斎も海外からの影響を受けていたのですね!
北斎が西洋の絵から影響を受けていたというのは、遠近法 からも感じられます。当時の遠近法というと近いものは大きく、遠くなるにつれて小さくなる一点透視法が主流でした。そんな中で北斎は、西洋画の影響からか 影により立体感を出す ような表現をしています。
上沢さん
上沢さん
オブチ
オブチ
西洋画について、当時の他の浮世絵師たちも知っていたのでしょうか?
見て知ってはいたと思いますが、自分の絵にアウトプットまでした人はほとんどいませんでした。北斎の絵が海外の人に受け入れられ影響を与えた要因として、北斎自身も西洋画の影響を受けていたからというのも一因だと思います。その北斎の絵を見た西洋人が影響を受けたことでヨーロッパでも新しく印象派が出来てきたりと、実は双方で影響を与え合っていたのです。
上沢さん
上沢さん

 

葛飾北斎《賀奈川沖本杢之図》すみだ北斎美術館蔵(前期展示)

 

オブチ
オブチ
波の絵ですね!有名な「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」とは波の様子が違って 穏やか ですが…
こちらの絵は1804年、北斎が45歳で描かれたもので、波をモチーフに描いたものの中では 初めの方の作品 です。
ここからいくつもの波の絵を描くうちに段々と波頭が激しくなっていきます。
この後、70代で冨嶽三十六景の有名な波(神奈川沖浪裏)を描き、そして最後に 小布施で祭屋台の二つの波を大成 しました。
北斎は波もそうですが、水の表現を追い求めていたように感じます。
上沢さん
上沢さん

 

そして展示が進んでいくと、 冨嶽三十六景(全46図) が展示されていました。

冨嶽三十六景で描かれている富士は 「不二」、二つとない山 という意味もあります。
富士山は当時から一番の霊山であり、名山でした。
北斎が生きた時代の化政時代は平和で豊かな時代でしたので、庶民の間で伊勢参りや善光寺参りなどの旅ブームが起き、富士山を信仰する富士講も盛んになりました。
そんな中で、色んな角度の富士が描かれている冨嶽三十六景は庶民の間で大ヒット!!旅に行った気持ちになれる と人気でした。
上沢さん
上沢さん
オブチ
オブチ
当時はどのように売られていたのですか?
冨嶽三十六景の浮世絵版画は、江戸で一枚ずつ売られていました。冨嶽三十六景は錦絵(多色摺の木版画)なので、沢山印刷できる版画でした。ですので、一枚の値段はかけそばより少し高いくらいで、お手軽に1,000円以内で購入できました。
冨嶽三十六景は、今でいう出版社である版元が、旅ブームに沸く庶民に目を付けた 出版企画もの でした。
上沢さん
上沢さん

 

こちらの冨嶽三十六景は特別展中、全作品がずっと展示されていますが、前期・後期の展示で摺りの違う作品が展示されるようです。
摺りの違いを感じることで浮世絵の奥深さも知れる、貴重な機会となっております!

続いて見学したのは、肉筆画のコーナー。

オブチ
オブチ
キホンのキですが、 肉筆画 とはなんですか?
浮世絵版画は絵師が描いた絵を彫師・摺師によって印刷したのに対し、肉筆画は絵師が 筆で直接描いた作品 です。
手間も時間も桁違いにかかるのが肉筆画でしたので、金額も かなり高額 でした。
依頼され、注文を受けてから描いていましたので人気の絵師のみが描くことができました。
上沢さん
上沢さん
オブチ
オブチ
北斎は肉筆画でどのようなを作品を描いていますか?
40~60代のときには美人画や花鳥画などあらゆるものを描いていました。
肉筆画は依頼されて描くので、依頼されたものの知識がないと描けません。北斎は書物を読んで知識を深めたり、中国の書物も読むなどして常に教養を高め、絵のモチーフに対しきちんと理解してから描いていたのです。実は、北斎は晩年、ほとんど肉筆画しか描いていませんでした。
上沢さん
上沢さん

北斎は絵以外のことも勉強していた教養人だったようです。

葛飾北斎《双河豚に大根飾り図》個人蔵(前期展示)

肉筆画の作品。非常にユニークなモチーフの作品である。

北斎は名前を 30回も 変えています。でも普通、名前を変えたら「誰の絵?」となりますよね。
北斎は 自分の画風を変えるたびに名前も変えていた のです。常に 新しいものを表現 しようとしていたことが伺えます。
上沢さん
上沢さん
オブチ
オブチ
それだけ絵が好きで、興味を持っていたのでしょうね!

この特別展を見ているだけでも、中国に影響を受けたような絵、西洋の画法を取り入れた絵、仏教的な絵、風景・人物・動物をモチーフにした絵と様々な絵を見ることができます。現在の知名度があっても、新しい画風になったからとスパッと次の名前に変えられる北斎、、、かっこいいですね

葛飾北斎《弘法大師修法図》(重要美術品)西新井大師總持寺蔵(前期展示)

 

葛飾北斎《牡丹に蝶》財団法人 日本浮世絵博物館蔵(前期展示)

北斎70代の時の大ヒット作・冨嶽三十六景を描いていたころに、その他にも揃物の名作を沢山生み出していたことはご存じでしょうか。
今回の展示でも、諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」「琉球八景」「詩哥写真鏡」「千絵の海」「百物語などの展示を行っています。

オブチ
オブチ
百物語 は日本浮世絵博物館さんおススメの作品ですね!
詳細はこちら→【北斎連載企画 vol.2】「浮世絵の魅力を知る」 ー日本浮世絵博物館を訪ねて

 

「諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」は有名な滝や橋のみを描いたというわけではなく、あまり知られていない場所も描かれていますが、面白い作品です。
諸国瀧廻りでは8つの滝の絵があり、水の表現を見ることができます。長野県の木曽の山奥の滝も描かれています。
また、北斎は幾何学的な絵が得意ですが、諸国名橋奇覧はまさにその幾何学感 を堪能できる作品となっております。
上沢さん
上沢さん

 

 

葛飾北斎《琉球八景 中島蕉園》公益社団法人 川崎・砂子の里資料館蔵(後期展示)

オブチ
オブチ
北斎って琉球に行ったことがあったのですか?!
実際には行っていません。琉球の様子を中国人が書いた種本を頼りに北斎の想像で琉球八景は描かれました。
琉球では王朝が変わるたびに幕府へ挨拶に来ていましたが、中国系の服装をまとう琉球の人々は目新しく、江戸でも注目を浴び琉球ブームが起こっていたのです。そのブームに乗って、この作品は作られました。
上沢さん
上沢さん
富士山のような山がある。。でも家の形や木の感じは琉球っぽい!
オブチ
オブチ

 

そういえば、展示の途中に「北斎漫画」を発見しました。

 

北斎は人に教えるのが苦手だったので、この「北斎漫画」を15冊描き、学びたい者に絵を伝えていました。この本は明治時代まで出版されていました。
江戸時代は陶器を海外に輸出していたのですが、その際の包み紙としてこの北斎漫画がバラされ使われたそうです。陶器を受け取った海外の人は、この包み紙に注目し、話題になったそうです。
上沢さん
上沢さん
陶器がこの紙に包まれていたら、異国情緒あっておしゃれに感じそう。
オブチ
オブチ

 

 

第2章 北斎と諏訪

 

オブチ
オブチ
北斎と諏訪の関係について教えてください。
北斎は諏訪の 高島藩の家老 千野兵庫の肖像画 を描いています。北斎が肖像画を描くのは極めて珍しいです。
また、冨嶽三十六景でも諏訪湖を描くなど、何度か諏訪を訪れた形跡があるのです。
上沢さん
上沢さん

北原年清《千野貞亮・貞慎・松花園肖像》諏訪市博物館寄託

一番上にいるのが千野兵庫、真ん中に息子である貞慎、その下に松花園が描かれている。北斎は諏訪で千野貞亮・貞慎を描いた可能性がある。その絵を北原年清が写し、松花園も加えて描いたとされている。
特別展では北斎が千野兵庫を描いた肖像画も展示されている。

オブチ
オブチ
実際に諏訪に来て肖像画を描いたのですか?
人物と共に描かれた机や置かれた筆などの様子から、諏訪に来ないと描けない絵であったように思われますので、おそらく諏訪で描いたことが予想されます。
諏訪に招いたという文献は残されていないのではっきりとは言えませんが…

千野兵庫と共に息子 の肖像画も描いたようなので、北斎と関係が深かったことが伺えます。

上沢さん
上沢さん

 

諏訪というと湖の印象が強いですが、北斎は大きな湖をみてどう思ったのでしょうか。凍った諏訪湖の上に人々が乗った、こんな絵もあります。

葛飾北斎《北斎漫画 十編 信州陬防湖氷渡》すみだ北斎美術館蔵

人々のなごやかな表情が魅力的。凍った湖の上に乗るときのワクワクは今も昔も変わらないのかもしれない。
オブチ
オブチ

 

第3章 北斎と松本
オブチ
オブチ
北斎と松本の関係はどのようなものだったのでしょう。
北斎の弟子、抱亭五清 が松本に住んでいました。抱亭五清は作品のほとんどが 肉筆美人画 でありこの特別展でもいくつも展示されています。
上沢さん
上沢さん

抱亭五清《蛍狩二美人図》板橋区立美術館蔵(前期展示)

元々江戸で暮らしていた抱亭五清ですが、松本に移住しました。そのあと松本で16年間暮らし、没しています。
松本で芸術活動を続けられたのは、松本は裕福な人が多く経済力があったので、絵を買ってくれる人が沢山いたからでした。

オブチ
オブチ
今も文化的の価値の高い松本市ですが、江戸時代から文化人が多い街だったのですね。
ん!?所蔵先が 深志神社 になっている作品がありますね!
そうです。「神功(じんぐう)皇后と武内宿禰図(たけのうちのすくねず)絵馬」という作品です。
江戸で知られた絵師である抱亭五清の描いた絵馬が、松本にあるというのは貴重なことです。
上沢さん
上沢さん

 

北斎の画風を松本に届けた抱亭五清。
抱亭五清の弟子であり、北斎の孫弟子にあたる北鵞斉弘探の絵も展示されています。北斎や五清の影響を受けていたと考えられる弘探の絵を見ると、北斎の絵が信州で生きていた ことが感じられます。

 

 

編集後記

北斎連載企画では、小布施の岩松院と松本市の日本浮世絵博物館を訪れ、最終回で長野県立美術館の「葛飾北斎と三つの信濃」を取材しました。

これまでに北斎の生き方や浮世絵の素晴らしさについて取材しましたが、最終回では北斎の芸術作品に沢山触れることで北斎の「絵」への情熱や尽きない探求心を知ることができました。北斎はなぜ30回も改名していたのだろうかと疑問に思っていましたが、自分の新しい芸術を世に放つためであり、過去の名誉に頼らないのは絵に生きた北斎だからこそできたことであったと学びました。

今回の取材の中で最も印象深かったことは、北斎は西洋の絵からかなり影響を受けていたことです。
北斎の絵は西洋に影響を与えましたが、その前に北斎は西洋の絵を観てその技術を自分の芸術に取り入れていたということでした。
特別展を鑑賞していくと感じられますが、北斎は様々なものを描き、その描き方も多種多様です。絵に関して自分が得た刺激を、あらゆる形で自分の芸術に発揮したのです。それにより北斎は現代まで語り継がれるような、絵の大家になりました。
また、北斎の芸術が西洋の芸術家に新たな刺激を誘発させ、西洋の芸術もさらに発展していきました。
互いの良いところを国境を越えて認め合い自身の芸術に反映していく、こうして現代に至るまでに素晴らしい作品ができたのです。

現在私たちが触れている芸術は全て、そのような芸術の進化の中で生まれた美しい作品です。
私たちもこれから次の世代に芸術を進化させながら、手渡していかなければなりません。

常に学び続けること、
他人の芸術を愛して受け入れること、
過去の功績よりも自分の進化を信じること

北斎の芸術から学んだこの3つを胸に刻み、人類の進化のためにできることを見つけられたら良いです。

 

 

取材協力 :長野県立美術館 上沢 修さま

執筆・編集:株式会社サンプロ 小淵

 

 

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